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英語勉強法(5)米国駐在時代 [英語]

1988年11月から1993年5月まで、最初の米国駐在を経験しました。最初は、Rancho Palos Verdes, CAに住んでいました。当時、駐在員には英語学習の補助金が会社から若干出ていましたので、BYB English Centerに、妻と一緒に通い始めました。

今はNijiyaになっているようですが、当時はヤオハンがあった区画にBYB English Centerがありました。また、紀伊国屋書店、ベスト電器もあり、週末には買い物に出かけるのも兼ねて、通いました。ただ、やはり英会話学校なので、ある程度話ができるレベルだと、雑談ばかりになってしまっていました。おそらく、一年間ぐらいは、通っていたかと思います。

その後、通訳学校であるISSロサンジェルス校を開講したので、そこに申し込みをしました。今は、Del Amo Fashion Centerの近くに移転しているようですが、当時は別の場所に開校していました。

開校した時に申し込んだのですが、入学前の本にのレベルを確認する試験で、通訳クラスになってしまいました。

このクラスでは、まずはシャドーイングを行うことを徹底的にトレーニングされて、日本語で良いから毎日シャドーイングをするように言われました。シャドーイングとは、英語を聞きながら、少し遅れて聞いた英語を話す訓練です。実際には、話している時には同時に英語も聞いていなければなりません。

この訓練をするようになってからは、英語を聞いても、頭の中で聞いた英語を繰り返すようになっています。シャドーイングのように口には出しませんが、頭の中で聞いた英語を繰り返す思考パターンになってしまいました。シャドーイングの訓練をする前には、そのような英語の聞き方はしていなかったと記憶しています。

ISSでは、毎日かなりの予習を要求されていましたので、結局途中で挫折してしまいました。ただ、この時の訓練が私自身の英語力に影響を与えたのは確かです。

1991年5月に(米国内の)転勤で、Palo Alto, CAに住むようになりました。スタンフォード大学がある市です。ここでは、ベルリッツに通いましたが、実際には毎回雑談している感じ、英語力が伸びたという感覚はなかったです。

Palo Altoに住んでいた頃には、(現在のGoogle社本社近くの)映画館に、毎週のように映画を見に行っていました。映画を見た後は、サンノゼにあるヤオハン(現在はミツワ)まで行って買い物して帰っていたものです。当時、映画代は、妻と二人で7ドル程度でした。映画代の安さもあって、多くの映画を映画館で見たのはこの頃です。

英語勉強法(4)知らない単語に何度も出会う [英語]

大学時代は、辞書を引くことなく、多くの英語を読むことに挑戦していました。簡単なところでは、週刊の「Asahi Weekly」をコインランドリーで洗濯物を洗っている間とか、当時の九州工業大学(今の工学部の戸畑キャンパス)の生協の2Fには喫茶店(今は残念ながら無くなっています)があり、そこで、紅茶を飲みながら、「Reader's Digest」を一時間で何ページ読めるかということに挑戦していたりしていました。

当然、知らない単語も沢山あるのですが、知らなくてもひたすら文脈から推測しながら読んでいました。とにかく、単語を見て意味を知らないということを認識し、次にまた同じ単語に遭遇して、また意味を知らないということを認識し、ということを何度も繰り返していた訳です。

辞書で分からない単語を都度引いていては、その分からない単語に出会う回数はかなり少なくなります。なぜならば、英語を読む量がかなり少なくなるからです。それよりは、分からないということを認識して、同じ単語に何度も遭遇し、頭の中に記憶していくことが重要だと思います。それにより、英語を前から読む訓練にも同時になりますし、何度も遭遇して記憶されてきた時点で辞書を引いて意味を確認することで、文脈からの推測が正しかったとか間違っていたとかを確認することができます。

そうやって、覚えても、英語を読まなくなって、その単語を目にしなくなると、やはり忘れてしまいますので、継続して読み続ける必要があると思います。

英語勉強法(3) [英語]

前回の続きです。

大学時代、最初の三年間でマイクロカセットレコーダが1台、Walkmanが2台壊れたのですが、その後は、何台かその時々で最新のWalkmanを購入しましたが、詳細は覚えていません。やはり、この最初の3台の記憶だけが残っています。

1984年4月に就職してからは、English Journalは聞き続けていました。ただし、新たなワークステーションの開発(1986年に発表されたFuji Xerox 6060 Workstation)ということで、仕事が非常に忙しく、高残業が続いていました。それでも、通勤時にある程度は英語を聞いていたと思います。

1988年からはXerox社のStar WorkstationをSunOS上へ移植するプロジェクトが開始され、大勢のエンジニアと一緒に、米国に駐在することになりました。私が米国へ赴任したのは、1988年11月で、29歳になる直前でした。赴任する直前では、TOEICも700点台となっていました。

米国で生活を始めて見ると、テレビの番組やニュースの英語の速さには、やはり圧倒されました。番組の英語字幕を表示するために、クローズドキャプション装置を購入してテレビに接続したのですが、最初の頃は、ひたすら「テレビを読んで」いました。英語の字幕が出るのですが、それを読むが精一杯で、「テレビを見る」余裕は全くないと状態です。

当時は、インターネットが家庭で楽しめる時代ではありませんでしたので、一部の日本語放送を除いて、ケーブルテレビで見れる番組は、すべて英語という状態でした。幸い、ほとんど英語の字幕が見られるので、ひたすら読んでいた訳ですが、いつの頃から「見る」ことができるようになったかは、覚えていません。

映画をDVDで見る時に、音声を英語、字幕を英語にして、「映画を読むのではなく、見る状態」になることが英語学習の一つの段階だと思います。つまり、字幕は出た瞬間にチラッと見て理解し、映像を楽しめる段階です。


英語勉強法(2) [英語]

前回に続き、村上氏の英語学習法に関連した自分の話です。

村上式シンプル英語勉強法―使える英語を、本気で身につける

村上式シンプル英語勉強法―使える英語を、本気で身につける

  • 作者: 村上 憲郎
  • 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
  • 発売日: 2008/08/01
  • メディア: 単行本

Chapter 3 「英語を聴く」では、次の小タイトルごとに書かれています。
  • リスニングは“耳の筋トレ”。使うのは知力ではなく筋力
  • 1日1時間×3年。生の英語を1000時間聴く
  • リスニング教材は常に10課先を聞く
  • ザザッと聴いて「ハイ、聴けた」。100%を目指さない
  • テキスト類はいっさい見ない。そして、息を止めて聴く
  • 究極の教材は、ディベートの音声

この中で、リスニング力に関しては、ずばり次のように述べられています。
英語を聴く力、リスニング力は“耳の筋力”です。決して知力ではありません。
英語が聴こえるようになるには、耳を鍛えて高周波を聴き取る力をつけるしかない。

私自身は、中学・高校と英語を聴くことは全くありませんでした。当時は、テレビでの二ヶ国語放送も行われておらず、英語を聴くとすれば、NHKの講座ぐらいしか教材がありませんでしたが、全く聴いたことがないです。

大学に入学と同時に、受験勉強のために勉強した英語のレベルを落としたくないが、受験勉強と同じ勉強をする気にもなれないので、読むことと聴くことだけで英語力を維持しようと考えました。それで、大学1年生(1978年)の時に、オリンパス社のラジオチューナー付で録音可能なマイクロカセットレコーダーを購入しました。当時、ラジオから録音して聞いたのが、「カレントトピックス」と「ラジオ英会話」でした。この2つの番組は続けて放送されていましたので、録音するには好都合でした。

「カレントトピックス」は、全国に英語で放送されるニュースでした。おそらく、ネイティブではない日本人アナウンサーが喋っておられたのだと後で思ったのですが、聞き始めた頃は、何一つ聞き取れませんでした。つまり、15分間全く内容が分からない状態でした。それもそのはずで、高校生まで英語を聴いたことがないのですから。

当時、住んでいた筑紫野市(福岡県)から大学がある北九州市(福岡県)まで電車通学していましたので、電車の中では、録音した英語を聴くか、寝ているか、本を読んでいるという状態でした。徒歩も入れて、往復約5時間かけて通学していましたので、一日一時間以上は聞いていたと思います。一年生が終わる頃に、どの程度リスニング力が付いたのかは記憶にはないのですが、一年間酷使したので、マイクロカセットレコーダーが壊れてしまいました。

その頃、ソニーの2代目Walkman(映画「世界の中心で愛を叫ぶ」の中で登場するあのWalkmanです)が発売されたので、それを購入しましたが、残念ながらラジオから録音することはできなくなりました。当時ラジカセ(ラジオカセット)は持っていたと思いますが、カセットテープに録音して聞いたという記憶があまりありません。代わりに、ネイティブの英語が聴けるといことで、アルク社の「English Journal」の雑誌とテープを購読して、テープを聴き始めました。

これまた、正直聞き取れなかったと記憶しています。聞き取れていたのは、おそらく全体の5%程度ではなかったかと思います。それでも、今度は、このテープを毎日聞くようになりました。つまり、一ヶ月間、ひたすら同じテープを聞いていました。すでに、この時も一日に1時間以上は聞いていたと思います。また、大学二年生の頃には、福岡でも二ヶ国語放送が始まり、二ヶ国語チューナーを購入して、米国のテレビドラマの副音声の英語をラジカセで録音して聞いたりもしていました。

こうやって、リスニング力の「筋力」を鍛えていた訳ですが、最初は全く音の区切りが分からない状態から、徐々に、単語の切れ目が分かるようになっていきました。単語の切れ目が分かるようになると、「読んで分からないものは、聞いても分からない」ということで、読むことにも力を入れるようになってきました。

そして、大学2年生の終りには、Walkmanも壊れてしまい、(一年間の保証期間ということで)新しいWalkmanに交換してもらいました。その2台目のWalkmanも一年後には壊れてしまいました。

中学生(佐賀県嬉野市)になった時に、英語の勉強を始めた訳ですが、当時英語ができるようになった人の話を先生が授業中に話をされ、「ラジカセを2台その人は壊すほど英語を聴いた」という話をされました。当時は、ラジオカセットは高価でしたので、「高価なラジカセを2台も壊す馬鹿な人がいるものだ」と思ったことを覚えています。実際、自分も大学の最初の3年間で、マイクロカセットレコーダーを1台、Walkmanを2台壊してしまったことになります。

大学3年生から大学の近くに部屋を借りて住むようになったのですが、その頃は、「English Journal」や米国のTVドラマの副音声を録音して聞いていました。結局、大学4年間と大学院の2年間で、かなりの量を聞いたと思います。ほとんどが、集中して聞くのではなく、単に流しながら聞いていただけです。

振り返ってみると、リスニング力がゼロの状態から、私自身は、意味を100%理解できない英語を、ずっと聴いていたことになります。英語の学習で難しいのは、この点だと思います。つまり、「理解できなくても、速い英語を聞き続けること」です。理解できない状態であっても、聞き続けることを行わなければ、村上氏の言われている「筋力」が出来上がらないのです。

私自身がなぜ聞き続けたのかは、正直「なんとなく」です。何らかの目標に向かって努力していたというより、「なんとなく」毎日聞いていました。だから、続いたのかもしれません。当然、聞かない日もあったりしたと思いますが、とにかく続けて聞き続けるということで、リスニング力を伸ばしていったのだと思います。ただ、1984年に就職した頃の英語力は、それでも初めて受けたTOEICが600点でした。

英語勉強法 [英語]

青葉台のブックファーストで見かけて購入しました。

村上式シンプル英語勉強法―使える英語を、本気で身につける

村上式シンプル英語勉強法―使える英語を、本気で身につける

  • 作者: 村上 憲郎
  • 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
  • 発売日: 2008/08/01
  • メディア: 単行本

Google日本法人社長の村上憲郎氏が、30歳から始めた英語学習方法を述べたものです。私との年齢は、12歳違うようですので、ちょうど私が大学に入学した頃に村上氏は英語の学習を始められたようです。

英語を読むと聞くことに関しては、私自身の英語学習と似ている部分が多いようです。私は、大学の頃は「Reader's Digest」を読んだり、大学院を終了する頃から、ペーパバックを私も読むようになり、シドニーシェルダンの小説などは全部読んだものです。聞くほうも大学入学と同時に、全く聞き取れない英語(特にアルク社のEnglish Journal誌のインタビューテープ)を、(カセット)Walkmanを一年に一台壊してしまうペースで聞いていたりしました。

村上氏は様々な書籍の勉強法を参考されたようですが、本の最後に松本道弘氏への謝辞が書かれています。私自身も大学生の頃、松本氏の書籍に大いに影響を受けています。松本氏が似たような話をどこかで書かれたということで村上氏は、読むことに関して次のように述べられいます(私の記憶では、『ニューズウィーク』ではなく『TIME』です)。
この本で掲げる目標はズバリ、「日本語と同じように英語で読めるようになる」です。
 具体的で分かりやすいイメージとしては、たとえば東京から大阪まで出張したとします。新幹線の中で『ニューズウィーク』を読みました。新大阪駅に着いて、読み終えた『ニューズウィーク』をゴミ箱にすてました。エスカレータに乗ってしばらくして、「あれ、さっき読んでた『ニューズウィーク』、日本語だったけ、英語版だったけ?」と思い出せなくなる・・・そのレベルに達することです。
これは、私にとっても目標にしていたレベルですが、いつのまにか忘れていたような気がします。最近は、ペーパーバックから遠ざかっているのですが、本書をきっかけに再度読んでみようという気になりました。

Google I/O [英語]

今年の5月に開催されたGoogle I/Oのセッションのビデオが公開されている。

Google I/O

こうやって、すべてのセッションが公開されていると、わざわざ米国まで行く必要がない。しかし、カンファレンスに参加すると、会場の雰囲気やどのような人達が米国では参加しているかなどを知ることができたり、スピーカーと直接話をしたりできる。できれば、参加して、カンファレンスの後で、公開されたセッションを見ることで、参加できなかったセッションの内容を確認したりするのが良いのではないかと思う。


TIME誌 [英語]

もうすぐ48歳になるのを目前に控えて、通勤時間にTIME誌をどこまで読めるかに再度挑戦しはじめた。毎週送られてくるTIME誌を通勤時間内で読み切ることに以前挑戦したたが、読み切る前に次の号が届くことの繰り返しであった。

今回は、長期的に継続して、挑戦を続けたいと考えている。

今週号は、表紙がカリフォルニアでの山火事であった。私がカリフォルニアに住んでいた1988年11月から1993年5月までは大きな山火事はなかった。


TOEICの結果 [英語]

TOEICの結果が出た。と言っても、スコアー表が送られてきた訳ではなく、ネット上で結果を知ることができるサービスが提供されており、それを利用して結果を知った。

Listening(465点) + Reading(450点) = 合計915点

久しぶりに受験したが、思ったよりは点数が低かった。Listeningが低いので、ちょっと集中力が足りなかったのかなと思う。


TOEICを受験 [英語]

先月の話になるが、9月30日に2年ぶりにTOEICを受験した。新しい形式でのTOEICを初めて受験したが、成績は結果を見てのお楽しみである。

新しい形式では、文法の「間違い探し問題」がなくなっていたので、やりやすかった。書籍『英語耳』の著者である松澤喜好氏とも良く話題にするのであるが、あの間違い探し問題は難しいくて、どれも間違っていないような感じの問題が何問か必ずあった。

Readingは、読ませる量がかなり増えていた。しかし、量が多いというだけであり、英文の難易度そのものは高くない。今回TOEICを受験しながら思ったのは、TOEICで満点(990点)が仮に取れたとしても、やはりTIME誌はすらすら読めないし、ネイティブ並に聞き取れる訳ではないということである。