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複業を20年 [プログラマー現役続行]

振り返ってみると私自身がまだ40歳であった2000年の初めからほぼ20年間複業をしてきました。1984年に社会人になって、1999年までは会社での開発業務という単一の仕事をしていたのですが、2000年からは主に次の三つです。
  1. 会社での開発業務(マネジメントや社内コンサルティングも含む)
  2. 技術教育や講演
  3. 技術書の執筆(雑誌の記事を含む)や技術書の翻訳

1. 会社での開発業務

1984年4月に富士ゼロックスに就職してから、6回の転職を経て現在はメルペイで働いています。社会人となってからは、自分で実際にソフトウェア開発をしている時期もあれば、開発のマネージャをやっていることもありますが、現在は、毎日Go言語でbackendのサービス開発をしています。

社会人となってから、実際に自分でコードをほとんど書いていないかったのは、日本オラクル、ジャストシステム、富士ゼロックス情報システム(FXIS)での最初の5年、リコーでの8年です。プログラミングしていないといっても、FXISやリコーではさまざな技術レビューは行っていました。

おそらく、会社の仕事だけをずっとしていたとしたら、今も実際にプログラミングしながらソフトウェア開発をしていなかったかもしれません。マネージャとして管理職業務を行いながら、ソフトウェア開発を続けるには、複業を行っていたことが大きな要因かもしれません。

2. 技術教育や講演

2000年から2017年8月までは主にグループ会社向けの技術教育が中心でした。最も長く続けているのはJava研修ですが、それ以外にもさまざな技術教育をグループ会社向けに行っていました。技術教育によっては会社が売り上げを上げるものはありましたが、私自身は、社員として業務の一部として行っていましたので、技術教育で別途私に収入があるわけではありませんでした。

2017年9月からは、週4日勤務で働き、金曜日に個人として技術教育を行っています。ソラミツでは雇用契約そのものを週4日にしてもらって働いていました。メルペイではそのような雇用形態は(現在は)なく、正社員として働いています。しかし、金曜日は原則欠勤しています。もちろん、欠勤すれば不足労働時間に対する勤怠控除が行われ給与が減額されます。

地方での講演の依頼に対しては、多くは手弁当で、妻と旅行を兼ねて行くことが多いです。函館、鹿児島、岡山、高松、長野、徳島、仙台、新潟、名古屋などがそうです。

3. 技術書の翻訳など

2000年から技術書の翻訳を私的な時間に始めたのですが、同時に技術雑誌に記事を書くようにもなりました。雑誌の記事は2007年まで続いており、記事をまとめて単行本にしたのが『プログラマー現役続行』、『ソフトウェア開発の名著を読む』、それに『Java 2 Standard Edition 5.0: Tiger』です。

技術書の翻訳も、継続して続けており、翻訳を通して技術を学習したり、自分の知識を再整理したりしますし、著者と多くのメールのやり取りをすることも多いです。現在は、私にとって18冊目になる技術書の翻訳を行っています。

振り返ってみて

60歳を目前にしてプログラミングしながらソフトウェア開発を続けられているのは、複業をこの20年間を行ってきたからではないかと思います。それぞれの活動が、いろいろな側面で相互に影響してきたと思います。

何歳まで続けられるか分からないですが、まだまだソフトウェア開発を続けていきたいと思っていますし、複業も続けていきたいと思っています。
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