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ソフトウェアエンジニアとして転機(2) [ソフトウェアエンジニアとして転機]

富士ゼロックスへの就職

就職先として選んだのは、富士ゼロックス株式会社でした。当時は、推薦状をもらって1社受けるだけで、落ちない限り次の会社を選ぶことはなかったのと、修士課程を出て不合格になることはまれだったこともあり、富士ゼロックスに就職することになりました。情報工学科の先輩で就職した人はいなかったのですが、当時としては、福利厚生(特に住宅補助)が非常に良かったという不純な理由で選びました。

入社後の塚原研修所での3か月の新人研修期間は、ほとんどがコピー機に関連する研修ばかりで、就職する会社を間違えたと思いました。

J-Starワークステーション

配属された開発部門は、当時のJ-Starを開発している部署でした。しかし、私は、J-Starではなく、独自のワークステーションを開発する開発グループに配属されました。J-Star関連の開発に従事するようになったのは、2年後の1988年からですが、J-Starおよびその開発環境であるXDE(Xerox Development Environment)は、時代の先端を行っているソフトウェアでした。就職した1984年(Windows 95もMacintoshも登場していない)で、すでに以下の機能を備えていました。
  • ビットマップディスプレイとマウス
  • マルチウィンドウ(J-Starはタイリングのウィンドウシステムでしたが、XDEは普通にオーバーラップするウィンドウシステムでした)
  • Ethernetと各種ネットワークプロトコル
  • レーザープリンター
  • リモートデバッグ機能(別のワークステーションからデバッグできる)
  • 依存モジュールを世界中のゼロックスグループ内のファイルサーバーから自動でフェッチする機能
これらすべては大学時代は全く想像もでできませんでしたし、見たことも触ったこともありませんでした。マウスを初めて操作し、マルチウィンドウシステムでドキュメントを作成しレーザープリンターで綺麗に印刷し、ファイルサーバーにドキュメントを格納したり、電子メールを使うという体験をしたのが1984年でした。そして、Starだけでなく、ゼロックスにはすでにSmalltalk-80やInterLisp-Dの統合開発環境も存在していました。

私は、J-Starの開発グループではなく、独自のワークステーションを開発するグループに配属されたので、上記の機能の多くを独自に開発することになります。

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