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人生は自分が触れたものになる (2) [プログラマー現役続行]

以前、「人生は自分が触れたものになる」になるという記事を書いています。
20代にしておきたい17のこと (だいわ文庫)

20代にしておきたい17のこと (だいわ文庫)

  • 作者: 本田 健
  • 出版社/メーカー: 大和書房
  • 発売日: 2010/04/09
  • メディア: 文庫
「人生は自分が触れたものになる」と私は考えています。
三流のものに囲まれて、三流のものに触れていたら、三流になる。
一流のものに囲まれて、一流のものに触れていると、やっぱり、一流に近づいていくようになります。
(途中省略)
自分の環境をどうつくるか-それで、その人が変わります。
本田 健、『20代にしておきたい17のこと』
ソフトウェアエンジニアとして一流の人達の組織で働くことは、常に高い基準が求められることになり、様々な努力をすることが求められて必然的に一流に近づいていくと思います。

三流の人達の組織で働くことは、高い基準は求められず、結果としてやはり三流になってしまうということです。

したがって、新卒で働き始めた場合には、どのような開発組織で働くかにより、その人の成長は大きく左右されます。逆に言えば、先輩が一流になる努力を続けていない組織では、若手が一流になることはないかもしれないということです。その結果、開発組織としても三流になるのです。

初めてのパスポートを手に、米国へ向かったのは、25年前の11月でした。確か、2時間遅れでLAXに到着しました。1984年に入社した多くの同期と一緒に米国へ赴任し、Salientプロジェクトに取り組み始めた年(1988年)でした。
※ Mesa言語で書かれたXerox StarワークステーションのソフトウェアをSunワークステーションへ移植するプロジェクトでした。日米合わせて約200人のエンジニアが従事したプロジェクトでした。

私にとってSalientプロジェクトは、一流のエンジニアと一緒に仕事をする最初の機会を与えてくれたプロジェクトでした。そして、プロジェクトが進むにつれて、彼ら彼女らは、会社を離れていくだろうという予感があり、その予感は的中していきました。

2年5か月後にSalientプロジェクトを終えてほとんどのエンジニアが日本に帰国する中で、今度は米国内で転勤してXerox PARCのPageMillプロジェクトに参加することになりました。PageMillプロジェクトは、一流を越えて超一流の人達の集まりでした。

PageMillプロジェクトは、発展してWhite Waterプロジェクトとなり、1993年5月に私は2年間のシリコンバレーでの駐在を終えて日本に帰国し、継続して商品化に従事しました。そして、1996年の初めにDocuStation IM 200として世に送り出されました。

4年半の米国駐在は、私にとって一流の人達と一緒に仕事をする機会を与えてくれたと言えます。
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